History
沿革
1940 |
昭和15年10月 (株)瀬戸田船渠として創業(本社は神戸) |
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1944 |
昭和19年11月 瀬戸田造船(株) 設立〔 中桐造船所、村上造船鉄工所と合併し商号を変更〕(本社は神戸) |
1945 |
昭和20年3月 本社を神戸から瀬戸田へ移転 |
1956 |
昭和31年9月 瀬戸田工場 2号ドック(7,500D/W) 完成 |
1964 |
昭和39年3月 瀬戸田工場 3号ドック(6,500D/W) 完成 |
1967 |
昭和42年5月 日立造船(株)の系列会社となる |
1971 |
昭和46年1月 大型フェリーの連続建造体制に入る |
1972 |
昭和47年10月 内海造船(株) 発足〔 田熊造船(株) と瀬戸田造船(株)が合併し商号を変更〕 |
1974 |
昭和49年11月 大阪証券取引所(2部)、広島証券取引所に株式上場 |
1976 |
昭和51年3月 瀬戸田工場 1号ドック(60,000D/W) 完成 |
昭和51年4月 資本金11億円に増資 |
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1991 |
平成3年3月~4年6月 瀬戸田工場 NC切断機1号機、NC切断機2号機、パイプベンダー導入 |
1992 |
平成4年5月 シップ・オブ・ザ・イヤー1991(第2回)大賞を受賞【日産むさし丸】 |
1993 |
平成5年9月 ナティーク城山(ホテル) 開業 |
1995 |
平成7年3月 瀬戸田工場 型鋼NC切断機導入 |
1998 |
平成10年12月 瀬戸田工場 130tジブクレーン(1基目) 完成 |
1999 |
平成11年2月 沢クラブ(監督宿舎) 完成 |
平成11年3月 瀬戸田工場 ISO9001を認証取得 |
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平成11年5月 瀬戸田工場 ブロック置き場拡張のため2号ドック埋立 |
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2000 |
平成12年3月 東京証券取引所(2部) に株式上場 |
2001 |
平成13年5月 瀬戸田工場 塗装工場完成 |
平成13年12月 瀬戸田工場 ISO14001を認証取得 |
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2004 |
平成16年3月 中野寮(独身寮) 完成 |
平成16年11月 瀬戸田工場 130tジブクレーン(2基目) 完成、第4船コク、第5船コク工場増設 |
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2005 |
平成17年1月 (株)ニチゾウIMCと合併し、因島工場が誕生 |
平成17年12月 因島工場 内業自動溶接機完成 |
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2006 |
平成18年5月 因島工場 総組場上屋完成、塗装工場完成 |
平成18年8月 資本金12億17万円に増資 |
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平成18年9月 因島工場で20年ぶりの進水式 |
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2007 |
平成19年3月 中野寮新館(独身寮) 完成 |
平成19年8月 三庄寮(独身寮) 完成 |
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平成19年9月 瀬戸田工場 第10船コク工場増設、NC切断機3号機導入 |
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2012 |
平成24年3月 田熊工場を閉鎖し、修繕船事業を瀬戸田工場へ集約 |
2013 |
平成25年12月 旧田熊工場跡地に太陽光発電施設を設置 |
2018 |
平成30年5月 シップ・オブ・ザ・イヤー2017(第28回)大型貨物船部門賞を受賞【TRANS HARMONY 1】 |
2021 |
令和3年3月 因島工場 200tジブクレーン(1基目) 完成 |
令和3年6月 因島工場 200tジブクレーン(2基目) 完成 |
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2022 |
令和4年12月 因島工場 100tジブクレーン完成 |
1940年10月、株式会社瀬戸田船渠として本社を神戸市に置き、資本金20万円で創業した。当時、瀬戸田町に工場を建設するにあたり埋立工事が可能な強固な地盤の浅瀬を探したところ、現在の1号船台付近(干潮時に陸続きになる小島【木之子島】があった)が選ばれたと言われている。
その後、1944年11月に同じく神戸にあった中桐造船所、村上造船鉄工所と合併し、瀬戸田造船株式会社を設立した。翌1945年3月、戦災を避ける為に神戸本社・工場の設備が瀬戸田町に移された。
1971年1月、当時国内最大級となる大型高速フェリー、9,235総トン型「まりも」の建造を開始し、翌年3月に完工。その実績が評価され、9,800総トン型「あるかす」、同型船「あるびれお」の2隻を受注した。同年は不況の渦中にあったが、大型フェリーの連続建造に成功し大幅な増収を達成した。これ以降も会社の規模を拡大するとともに継続して大型フェリーを受注・建造し、フェリー建造を得意とする造船所として確固たる地位を築きあげていった。
1976年3月、自動化、省力化設備を備えた1号ドックが完成。60,000重量トン型のドックでパナマックスサイズの船が入渠可能となった。1970年から1975年にかけては、船殻工場及び鋼材置場の拡張や、新従業員社屋、艤装桟橋を完成させており、設備投資を積極的に行った時期であった。これらの投資には建造船の大型化や修繕船事業の拡大といった背景があり、中手造船所の中でも大規模設備を有する工場へ成長した。
1999年12月、130tジブクレーンが完成。吊り上げブロックの大型化が可能になり、作業効率向上、作業時間短縮に成功。2004年には、同型の130tジブクレーンを1基追加導入し、さらなる効率化を図った。吊り上げ能力の倍増はもちろんのこと、小回りの利くジブクレーンの機動力を活かし、タイトな作業工程にも迅速かつ柔軟に対応可能となった。
2005年1月、株式会社ニチゾウIMCと合併し内海造船因島工場が誕生した。労働力の増加、大型船台をはじめとする建造能力の底上げがなされ、内海造船の掲げる「プロダクトミックス」を名実ともに後押しする形となった。かつて「造船の町」と呼ばれた因島。19年もの間途絶えていた新造船の建造を目の前に、新体制での内海造船が動き出した。
2006年9月、因島工場でコンテナ船(HELENE S)の進水式を一般公開。地元住民、従業員の家族、造船OB、約2,000人がその姿を一目見ようと工場を訪れた。日立造船因島工場から新造船部門が撤退して20年。船台に組み上げられた船はまさしく「造船の町復活」の象徴であり、「内海造船因島工場」として新たなるスタートを切った。
2012年12月、閉鎖した旧田熊工場跡地に太陽光発電施設を設置した。現在、工場跡地は複数の商業施設の出店と大規模な太陽光発電施設を設置しており、約7,500枚の太陽光パネルが年間約160万kWhの発電を行っている。造船メーカーとして、船舶から排出されるガスによる大気汚染の防止に努める一方で、地球環境に配慮したクリーンエネルギーの生成にも積極的に取り組んでいる。
2021年、因島工場に2基の200tジブクレーンを導入。これまで因島工場で主力としていた120tジブクレーンからの設備更新となり、吊り上げ能力が大幅に向上した。
瀬戸田工場(最大130t)と比べても大型のジブクレーンで、従来よりもブロックを大型化することが可能になり、大型船建造を主体とする因島工場の設備増強と生産効率の底上げを行った。